病気やけがをしても帰ってこれる居場所を作りたい

高校時代、オープンキャンパスに行った大学で初めて“作業療法士”という仕事を知り、家事や手芸などを通して元の生活に戻れるように支援するというところに惹かれて進学を決めました。卒業後は作業療法士としてリハビリを集中的に行う回復期病棟と訪問看護ステーションに勤務しました。
作業療法士として患者さんと関わる中で、病気やケガがきっかけで元のコミュニティに戻ることが難しくなるのを感じてきました。後遺症の影響で戻れないこともありますが、それだけではなく本人の「こんな体で…」といった気持ちが要因のこともありました。そんな経験を重ねる中で、病気やケガをしても、気兼ねなく戻れる場所が地域にたくさんあればいいなと思っていました。また、作業療法士は対象者の方が社会参加できることを目指しますが、フォーマルサービスの中では、支援の限界を感じていました。
引っ越しに伴い群馬での転職先を探している中で、じゃんけんぽんが目に留まりました。地域の方が色んな形で活躍できる仕掛けが沢山あり、年齢や障害の有無など関係のない居場所、フォーマルサービスでカバーできない部分をインフォーマルサービスで補う仕組みもあり、「ここで働きたい!」と思いました。
当時、作業療法士の求人はありませんでしたが、介護要員として入職を希望したところ受け入れてもらい、観音寺に配属になりました。

 

いつでも・どこでも必要な支援ができる!!

看護小規模多機能に勤めてから、訪問看護としての仕事ではできなかった支援ができ、当時もどかしく感じていた部分が解消されました。例えば、パーキンソン病の方の日内変動に対して、看護小規模多機能であれば1日を通した様子が把握でき、朝でも夜でも必要な時間帯に支援を提供できます。また、買い物や趣味など家の外のことに対しても支援することができます。
訪問看護で勤務している中で、色んな介護サービスを知っているつもりでしたが、こんな支援もできるんだと驚きました。この施設があれば、在宅で生活ができない人なんていないなと感じました。

 

職場の支えと地域の方の支えで妊娠中の不安も乗り越えられた

入職して半年くらいした頃に結婚をしました。入職して間もないのに利用者さんも職員の皆さんも一緒に喜んでくれたことがとても嬉しかったです。
子どもを産むときには事務局(インフォーマル)に異動していました。入職時から希望していた部署に異動できたので、頑張りたい気持ちもありましたが、妊娠で無理ができない状況に葛藤がありました。そんな中、職員やボランティアさん、居場所に来ている方が温かい声をかけて下さったり、先輩お母さんたちの体験談を聞いたりすることで、不安だった気持ちも和らぎました。みんなの支えで仕事を続けながら、無事に第一子を出産することができました。
育休中は一地域住民として近隣大家族で地域の皆さんに息子を抱っこしてもらったり、入職時に働いていた事業所でも利用者さんに抱っこしてもらったりしていました。産前から産後まで温かく支えてもらっていました。
仕事に復帰するときはじゃんけんぽんの保育園を利用させてもらいました。当時、息子はまだ話しができませんでしたが、連絡帳を通して息子の様子を知ることができました。コメントを読んでいると先生方が丁寧に見てくださっていることが伝わり、安心できました。引っ越しの関係で、1年も経たずに転園しましたが、初めての保育園がここで良かったです。
その後、二人目を出産し、今は2回目の産休育休が明け、時短勤務をしていました。子どもの体調不良などでお休みをいただくこともありますが、皆さんに支えてもらっています。働き方についても相談をしやすい環境でとても助かっています。

2021/1更新